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  • 2014.02.16 Sunday
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声のおしごと志望 のみなさんへ

こんなタイトルですが、今日は、まず、雑感。
とりとめなく書きますが、ご容赦ください。
志望者の方々に講師として接する機会もたくさんあります。
そんな中で、いろいろ感じることがあります。


私が、局アナになって、この仕事を始めてから、今年で19年です。
(年がバレる、っつうの。しかも浪人とか留年してるし^^;
 おいおい、そこの人! 計算せんでいいっ!(笑)
 そうよ、私は、アラフォー街道まっしぐら。
 きのう19日は、誕生日でした!
 お祝いメールくださったみなさん、本当にありがとうございました。
 もう少し、年相応に、、、とは、全く思っておりません^^;
 痛々しくない程度に、シワとかたるみとかに抵抗もしたりして、
 このまんまいってみます。(よくわからんな^^;))←前置き、長っ!


※本題「声の仕事」に戻りますね・・

「絶対音感」とか言うものが、音楽の世界にあるのなら、
声で発する言葉の世界にも、生まれつきのセンスのようなもの、あると思います。
それは、音感に似たセンスだけでなく、日本語そのものや文章のセンスも。
(後者は、良書をたくさん読むことでも磨かれると思います)
(このブログは、はっきり言って、日本語乱れまくりです)


私は、ラジオ局アナ出身なので、「アナウンサー」という立場から出発して
「ラジオのパーソナリティ」「ナレーター」を生業としてきました。
司会については、実はずっと避けてきた仕事でしたので、デビューは遅いです。
(でも十年になるか^^;)
(なぜ、司会を避けてきたかには、理由があります。それについては今度)

「声優」の世界は、私から見れば、全く別もの。
役者が出来るというのが、基礎にある気がします。

表情だけに頼らず、言葉をクセなく運べる人は、ナレーター向きだと思います。
(役者がナレーションをするのは、また別)

アクのなさを求められるアナウンサーのような立場もありますが、
アクはなくていいけど、個性はおさえつけたくないものです。

ラジオパーソナリティ。。。この仕事も独特です。
タレントさんやアーティストが務める番組は別として、
こういう仕事のジャンルが確立している、というのも考えてみれば面白いことです。
キャラで勝負するか、何かの専門知識で際立つか、
聞き心地の良い声や、フリートークの楽しさで愛されるのか、人それぞれです。



私は、アナウンサー志望の人の多くが通う専門の教室などには一度も行くことなく
アナウンサーになりました。
偉そうに書きますが、あえて、行きませんでした。
通っているとメリットもたくさんありますが、
いちばん大事な「伝える」という意味が置き去りになって、
ある程度の及第点が出る話し方の「型」を教えられ、
誰が話しても、その「型」が見えてしまうことに、
子供の頃から興ざめしていたのです。

なんで、アナウンサーって、みんな同じしゃべり方なんだ?
「伝える」ことに、「型」は要らないじゃないか。
なによりも、不自然だ、と。

「基礎」を指導しているつもりが、
不自然な「型」にすり替わっていったのでしょうか。

いろいろ分析しているので、これについては、また書きますね。


私がプロの先生に指導いただいたのは、放送局に内定してからでした。

その先生に出会えて、とてもラッキーだったと思っています。

ニュース原稿の読みや、各種ナレーションについては、
私はどうやら手がかからなかったそうです。
(これは、のちに私がフリーになってから、先生がおっしゃって下さいました)


むろん、基礎は大事ですが、その上で先生が私に指導してくださったことの核に
「自然な語り口調」というものがありました。

実は、マイクの前で、公の電波を使って「自然な感じで話す」というのは、
「原稿読み」より、勇気の要ることだと思います。

「読んでいる」より、「語る」ほうが、伝わります。

いまでも私が重視するのは、(大前提に充分な基礎が出来ていることがありますが)
「伝わる」ことです。

でも、本当に自然な息づかい、って難しいのです。
しかも、自然といっても、シロウトが自然に話すのとは、全く違う。
そこには、きちんとした基礎が必要です。

私は、クラスなどを受け持つと、「声のプロ化」の話を必ずします。

これは、「意識」で身につくものなのです。

私の教え方は、精神論が多いといわれますが、根本は、そこです。
意識です。意識として、プロか、どうか?
技術は未熟でも、この意識がプロとしての態度であれば磨き甲斐があります。

プロの声になるには、「声の芯」のようなものが必要ですが、
これも、意識ひとつで、変わってくるものだな、というのが、
最近、教えていて、感じることです。

・・・・

とりとめなさすぎて、ごめんなさい。
今日はこの辺でやめときます。

つーか、こんな話、興味ありますう???









  • 2010.01.21 Thursday
  • 00:48

thought

「そのはなし」1


「天使のモーニングコール」は、「仕事」として、担当しています。
「プロのパーソナリティー」として、担当しているつもりです。
(担当しているのは、2000年4月からです。もう9年以上もやってる!^^;)

説かれる法の理解につとめ、
出来るだけ多くの人が理解できるよう、
スタッフと共に構成や言葉運びに気をつけながら伝えています。

そして、リスナーの皆さんが
自分を、偶然生まれ落ちた存在ではなく、仏の創造された存在だと感じてほしい、
という願いを込めています。


この仕事を受けるとき、もちろん「覚悟」が要りました。

「あの白倉が、宗教番組をやっている」と、影で囁かれたり、
直接、「ちょっとビックリ&がっかり」と言われたり。。。

私自身、「他の仕事に影響が出るかもな〜」という想いはありました。

ただし、そんな小さな心配を上回ったのは、
「こんなに素晴らしい教え、全国に伝えられるなら本望!」という気持ちです。


そして、いま、まさに、本望です。
いつまで担当するか、正直わかりませんが、やめることになるまで
一生懸命つづけます。

これまで担当した多くの番組とは、やはり一線を画す特別な仕事です。

「仕事」として担当している、と書きましたが、
そこには「公的仕事」と「私の人生の目的」が重なる部分が多いから
やはり、他番組とは違うのでしょう。

スタッフへの信頼は絶対だと思っているし、
スタッフもまた、この仕事が公的使命の一つであることを自覚しています。


さて、この番組を全国で聴けるように尽力くださる方々の一部は、
幸福の科学の信者では、ありません。

私は、この方々の「人徳」と「バランス感覚」のおかげもあって、
これだけ広まったのだと思っています。

もちろん、伝える中身=つまり法の内容が素晴らしいから広まるのですが。

広めようとする人の背景に幸福の科学の看板が見え、
その人が信者というだけで、
相手はフィルターをかけてこちらを見ることも多いので

「いえ、私は信者じゃありません。信者であろうがなかろうが
 素晴らしい教えだから多くの方に届けましょうよ」

と言ったほうが、すんなり受け入れられることは多いのです。


数年前に、コミュニティ放送局で朝の帯番組を担当していた際、
ブログに個人的な信仰のことを書いたら、即、降ろされた経験があります。
(具体名は、書かなかったんですけど・・・)
個人ブログであっても、その番組の公式サイトにリンクを貼っている以上、
公式、とみなされ、公式の発言として宗教に触れたのでダメ、即刻降りろ、と
いうことでした。
公式だろうがナンだろうが、信仰が理由で、契約仕事を即解除、というのは、
信教の自由に反しているし、あまりにも理不尽です。
信教の自由を持ち出して「法的」に訴えれば、何らかの答えは出たでしょう。

実際、訴えたら?とおっしゃる方もありました。
テレビで働くその人は、テレビでそんなことがあったら大騒ぎだ、と。

芸能人は信仰を持つ人がとても多いし、自分にも創価学会の芸能人の知り合いや
幸福の科学の人もいるし、クリスチャンだっているけれど、
それはそれで、言わずもがな、仕事をしている時は関係ない、その話はおかしいと。

でも、白倉さんは、そんな言い分は、きっと言い張らないのでしょうね、
そういうところが素敵なんですけど、、って言われました。
(書いてるよ、いま^^;)

しかし、その時は、たしかに、反論したりすることは、イヤでした。
局にも、関係者の方々にも、いまでも、感謝の気持ちしかありません。

そこでの毎朝の生放送で、パーソナリティとしての自分を再確認でき、
あたたかい人々に囲まれ、素敵な出会いを重ねられた感謝しかありません。
もちろん、複雑な思いは残りますが、
それは、うしろで糸をひく存在に対してのものであって、
お世話になった方への想いは、変わらないのです。

ただ、降番を言い渡した方に、これだけは言いました。
「私の背骨は、この信仰によって出来ています。
 私の仕事を評価してくださる方々のその評価の先には、
 私の奥にある信仰があります」と。


宗教や政治の話を持ち出すのはタブーとされる風潮のある世の中。
でも私は、出来れば「そのはなし」をしたい。
もちろん「隠し味」として、そっとうしろに控えているものが
信仰であったり信条であったりするので、
デリカシーを大事にしながら。。。
(信仰者の傲りは、時に、このデリカシーに欠ける面に現れる)

小さい時から、そうでした。
「わたしはこう考える。あなたは?」と。
イギリスにホームステイしていた時にも、ファミリーとよく信仰について、
神さまについて、話しました。
国教会の礼拝にもつれていってもらったり。

世界中のどこでも、その人の「ものさし」が知りたいタイプ^^。
科学者の方でも、芸術家の方でも、その人の判断の基準や背景を知りたいのです。

知ってどうするの?

その人を理解したいのです。

もちろん、別の話だっていいんです。
どんな音楽が好きとか、こんな映画に感動した、とか、
そういうはなし、でもいいんです。

要は、その気持ちや判断の基準や背景はどんなところにあるのか、
知ったら、より理解できるんです。私の場合はね。

その人が、何を考えているのか。
それが、私の興味。

その人が、医者であっても、教師であっても、ミュージシャンでも、
肩書きはさほど関係なくて、何を考えているのか、が、私の興味。

人間のアイデンティティーは、死んでも消えないものの中にあると思っています。

肉体は消える。職業とか何をやっていたか、も消える。(業績は残るけど)
消えないものは、その人の考え。
残った業績も、どういう態度で生み出したか、が評価されるのだと思う。
どういう志で、どんな想いで、それを残したか、のほうが、
業績そのものより、本質だと思う。



そんな想いでおります。

基本的には、仕事の時、私的な信条など差し挟みません。

ですが、「天使のモーニングコール」に関しては、公私割り切れません。

信者としての想いだけで担当するのとは、違います。

あくまでプロの仕事として、伝えたい、と思っています。
でも、それだけでもないし・・・

公的電波をきちんとわきまえて、上手に、かつ真剣に真理を伝えることで、
人の心に幸福を届けたい、と。



手の内?明かしてみました(笑)



  • 2009.12.13 Sunday
  • 23:50

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あなたと私の「ものさし」

みなさんは、ご自分の「ものさし」を持っていますか?
何かしら「判断」するとき、必ず自分の「判断のもと」となるものが
あると思います。それが、「ものさし」。

その 「ものさし」、いつから、どこから、得たものでしょうか。
それは、「たしかなものさし」 でしょうか。。。

たくさんの書物を読み、専門家の意見をたくさん仕入れて得た・・・
テレビや雑誌が伝えることをもとに出来た・・・
自分に影響を与えてくれる人の意見を参考にした・・・

あるいは、
自分が経験したことしか信じない・・・
証拠のないことは、ものさしにしない・・・

など、ものさしの持ち方に信条がある人もいるかもしれません。


いずれにしても、いろいろなものさしの「もと」があるはずですよね。

どれも、ぜったいに曲がらないまっすぐなものさし ならいいのですが、
はたして、どうでしょうか・・・

又、その ものさしを持つ人自身が、ちゃんとした使い方をしているか・・・

もしかして、それは、ものさしというより「フィルター」になっていないか・・・


私にも、ものさしがあります。

自分では、その ものさし を信じているのですが、
盲目に そのものさしを使ってはいけない、と、気をつけています。

他人に対して そのものさしを振り回してはいけない、と。
ちがうものさしを持つ人に対して、ムチのような使い方をしてはいけない、と。

その点検が、以前にも書いた「自分を信じろ!そして疑え!」という
私がときどき自分に課すテーマです。

ものさしそのものは、もう、疑う余地がないと思われる「真理」です。

ですから、ものさしを疑うというより、
その確かさや透明度に見合うだけの自分になれているか?を疑う、
という感じです。


先日、友人に「信仰や宗教を求める気持ちが理解できない」と言われました。

私は、「それは信仰を持つ人の多くが、偏って見えるからじゃない?」と返事。

「私も、自分で偏っているところがあると思うもん」と言うと、

その友人に、大きくうなずかれてしまいました。

ちょっとちょっと! 私、やっぱり偏ってみえるか・・・><;

こちらからすれば、その友人の宗教に対する見方のほうが「偏見」ですが^^;


信仰をものさしにしている人は、気をつけなくてはいけません。

信じているものが絶対なのだ、という強い確信が、ときに独善的になるからです。

いま、私は、「信仰者の傲り」ともいえる、この「独善的な態度」に、敏感です。

この真理は絶対だから真理にもとづいた「ものさし」を否定することは
許さない!というような態度とか、

これは本物だ!いいか、本物なんだから、受け入れろ!
という感じの強要とか、

そんな態度になっていたら、真理の存在意義が、ちがうものにすり替わって
いるはずです。

そもそも、その神様から降ろされたと信じているものさしは、
神が人々を幸福にしようと降ろした、愛のものさしなのに、
ものさしにとらわれすぎて、愛を置き忘れてしまう。
これは、神様のせいではなく、その人の責任。

そう、感じます。

身の丈に合った進め方を。。。

愛を忘れない気持ちを。。。

世の中の闇を濃く感じるいまだからこそ、
光を広げたいなら、浸透させたなら、
ていねいに、ものさしを、時には、隠し味にして、
相手にあった当て方をしたい。。。

師走の慌ただしい時の流れのなかで、自分にいいきかせています。


東京、とってもいいお天気です。

地面には黄色のイチョウの絨毯。

いい一日を・・・

  • 2009.12.10 Thursday
  • 11:19

thought

ARE YOU にほんじん?

みなさんは、「日本人としての誇り」をお持ちでしょうか。

「たまたま日本に生まれただけだ。国のことなど考えたこともない」
という人も中にはあるかもしれませんが、
母国としての日本と自分の関わりを、考えたことがある人は多いはず。

特に海外在住経験のある方や、観光でもいいから外国へ行った人は、
きっと、日本人としてのアイデンティティを考えたこと、あると思います。

国家観は、
「生まれがどこであろうが、人類みな平等」という話とは、違う次元です。

外国人参政権には断固反対の私。
これを通そうとしている方々は、偽りの優しさの持ち主だと思う面があります。
国家観に欠ける、と。

私が十歳のとき、父は仕事でアフリカへ。父が初めて知る海外でした。
イスラム教国の習慣を前に、
父は、改めて、日本人の勤勉さや几帳面さを再確認した様子でした。

又、休暇をパリで過ごすのが好きだった父は、
ルーブルなどで、「芸術」の背景には「宗教」があることを思い知ります。

国家の精神的な軸に、必ず宗教がある、ということも思い知ったようでした。

いま、日本は、どうでしょうか。

話を「国家観」に戻します。

夏の衆院選の時、
「民主党の支持母体の一つが日教組である」ということを
指摘、糾弾している候補者の話を聞きました。

その方が調べたところ、
日教組のメンバーが多い或る学校では、
修学旅行で行った中国で、生徒たちに土下座させて、
「戦争中、私たち日本人が悪いことをしました。申し訳ありませんでした」
と、あちらの生徒たちに対して謝らせるそうです。

こどもたちにそんなことを強要する教師・・・

どう感じますか?

それが教育といえましょうか。

「自分の国を愛する」という態度は、決して諸外国に対して罪なことではありません。
自国に誇りを持つのは、当然のことです。

では、どうやったら、
子供たちに日本人としての誇りを持たせてあげられるでしょうか。

日本の歴史教育を見直すことも、大事だと思います。

そこで、またまた登場〜

ジャーナリストの惠隆之介さん。

この方が、日本の未来を担う子供たちに、と、
「教材」に使えるようDVD化した、「海の武士道」。

テレビ番組「アンビリーバボー」で紹介された、ある日本の軍人の物語。

どんな史実かは、また次回。

(え〜!またおあずけですかあ〜^^;)



  • 2009.11.18 Wednesday
  • 01:19

thought

ガタガタ音がするけどガタガタ言わない

みなさんには、この国の未来が、どう映るでしょうか。

悲観的な言葉を口に出すな、と教わってきましたが、
正直、私には、この国が、このままでは、
ガタガタと音を立てて崩れていく音が、聞こえてしまうのです。
ガタガタと・・・

ああ、日本が気概を失い、大きな政府になっていってしまう・・・
全体主義的社会主義へ、どんどん向かっている・・・

民意は、不幸の道を選んだ、と、はっきり感じてしまうのです。

ことごとく「友愛」を盛り込む総理の言葉に、
心底、むなしさを感じてしまうのです。

でも、国民は、この道を選んでしまった。

選んだ一人一人は、どんな未来を選んだのか、自覚できているだろうか・・

私も、年齢からなのか、信条からなのか、
若い世代や子供たちの未来に責任を感じるようになりました。
何かできているわけではないけれど。

音を立てて崩れてしまいそうな国を、傍観しているのは、苦しい。

未来ある子供たちが、希望を抱いて努力しようと思える、
そんな国にするのは、おとなのつとめだと思っています。

これを読んでくださる方の中に、
私と同じような気持ちを抱く方は、どれだけいらっしゃるでしょうか。

新政権になりさえすれば、何かが変わって、良くなるんだ、
そんな悲観するな、期待をしてあげろ、やさしい政策ばかりじゃないか、
という声も聞こえてきそうです。

以前の私なら、そう言っていたかもしれません。

しかし、とても愚かで重大な失敗を選択したのですよ、と、いまなら
はっきりと返すでしょう。


ま、でもねっ、
いずれにしても、あらゆる分野で文明実験がおこなわれているような
そんな激しい時代ですから、
何が、どう、変わるか、わかりませんものね。

傍観してたら、そのままでしょうけど、
時間はかかっても、やるべきこと、やっていかなくては
それこそ、何も変わらないままです。

私も、努力しま〜す^^;


昨夜、夫と二人で入った自由が丘の中華レストラン。
隣の席には、会社帰りのサラリーマンらしき男性が三人。
4~50歳台だと思います。

「昨日もNHK見ていて、おかしいと思ったね。
 やれ、親が失業して高校に通えなくなった子供とか、
 やれ、格差がいけないとか、貧しい者の深刻さばっかり取り上げるんだよね。
 あれ、おかしいと思うんだ。そういう面ばっかり煽って〜。。。」

思わず、「ほんとですよねー!!!」と、
食事をご一緒したくなった私でした(笑)。

  • 2009.10.20 Tuesday
  • 23:14

thought

誤解されていても

「触らぬ神に祟りなし」
この言葉、本当にそういう面があると思います。
宗教なんて、かかわらないほうがいい、という解釈、理解できます。
なまじ、変なものを信じて、そこに頼ってばかりいたら、危険です。
霊的な世界はたしかにありますから、
目には見えないけれど、邪悪なものも、真理から外れたものも、
うようよしています。
うっかり、そんな世界に関わって、障り(さわり)を受けるなんて、損です。


仏陀がだれなのか?
そんなこと、どうでもいいから、(と言ったら怒られる?)
邪悪なものが、どのように人に障りを起こすか、知ってもらえたらいいな。
映画では、
四つのいわゆる「ヘンナシュウキョウ」を合体させて一団体として描き、
人心を惑わす経緯や、惑わされた人間が見せられる幻想なども描いています。
UFO が地球を襲ったり、脅迫観念で信仰を強要したり、
かなり大げさに表現されているけど、こういうこと、絶対ありますから。
知らないところで知らないうちに、こういう惑わし、転がっていますから。
体験したことがある方なら、笑えない現実でしょう。

そして、他ならぬ幸福の科学が、
「ヘンナシュウキョウ」と言われることもありますが、
ある意味、ヘンですよ。(認めるんかい!)

宗教にはいろいろあるから気をつけた方がいいよ〜、なんて
ヘンだと思われている宗教自身がみんなに知ってもらおうとしている
なんて、へんでしょ?(^^)。

それこそ、真理への確信ゆえに、
誤解されていても、強く伝えられるのでしょう。

世間の無理解に対して、誠実に真理を訴えていく信仰者を、
嘲笑しては、いけません。

邪教と一緒にされて、悔しい、情けない、なぜ理解されないのか、
そんな気持ちを抱えながらも、相手の幸福を願って、真理を伝える人々を
ののしったりしたら、それこそ、人間性を疑います。

ただし、私は、真理への確信ゆえに、傲慢になり、
もしかすると、時に相手の真理への無理解を責めたり、
非常識な人間になってしまっていることもある、という反省がすご〜くあります。

この世界は、人々の心しだいで、光にも闇にもなるのですから、
それに気付いてほしい、というのが、映画の意図の一つだと思います。
闇の要因は何か、を知り、魔が競い立つ中で、光を発する立場になってほしい、
そんなメッセージ、込められていると思います。

17日(土)から公開





  • 2009.10.16 Friday
  • 00:26

thought

いっぺんに来た

いつもお立ち寄り下さる皆さん、更新が滞り、申し訳ありません。

どんな夏をお過ごしですか?
どんな夏になりそうですか?

今日、仕事へ向かうとき、キレイな色のトンボを見かけました。
さきほど、マンションの廊下から、遠くの街の「花火大会」が見えました。
セミの声を、今日初めて聞いた気がします。
気付いたら、「日焼け」してました^^; ヤッベ〜・・・
(たぶん、毎朝、駅頭に立っている時にお日様浴びてるからだろうな・・・)

公私ともに、もしかするといままでの人生で最も
「いっぺんに来た夏」かもしれません。

何年か前にも、「いっぺんに来た時期」がありました。
いつかも恥を忍んで書いた、父の末期ガンと会社の整理 という
”病”と”借金苦”、それに伴う人間関係の問題、などなどが襲い、
何を食べ、どうやって仕事をいくつもこなしながら、
実家と会社のことにまで取り組んでいたのか、思い出せないほどです。
助けてくださった方々のことは忘れませんが。

私の精神的バックボーンに「真理」がなければ、
簡単に言い訳をしたり、誰かのせいにしたり、逃げまどっていたかもしれません。

皆さんにも、様々な問題や課題がいっぺんに訪れて、
”魂に焼きを入れられる”時期、って、ありませんか?
でも、それは、必要な「焼き」(^^)。
神様は、その人に乗り越えられない問題は与えないし、
その問題を見事に克服したあとは、多くの方のために命を使いなさい、と
言って下さっている、と思っています。
又、人生は、その繰り返し、だとも。。。
繰り返しといっても、同じレベルでの繰り返しではなく、
一歩一歩、魂の次元を上げているのだ、と。

で、私にとって、今回の「いっぺんに来た」は、
苦難困難という形ではありません。
う〜ん、「使命感と勇気を試される」、そんな「来た!」かな?

苦難困難を克服したあとに身についた強さのようなものを生地にして、
さあ、次は、お返しに何をするの?
本気で役に立ちたいの?と問われてもいます。


今日は、ここで、みなさんに私の夢を告白します。

私は、いまの日本のジャーナリズムを
もっと素晴らしいものにしたいと考えています。

小さい頃から「世直し隊」を作るんだ、とか
多くの人々に何かを伝える仕事に就くんだ、とか
いろいろビジョンはありましたが、
共通している点は、
素敵な人達で作る素敵な社会♪が目的ってことでしょうか。

お前にはたいした実績がないじゃないか、と言われてしまいそうですし、
お前はジャーナリズムの何を知っているんだ、と言われそうですが、
それは埋めるまでです。
情熱だけは、たぶん、負けません。
そのことを考えるだけで、涙が出るほど、何か深いところから来る
「やらなきゃ」を感じています。
マスコミの次元が低い、とか、偏向報道がある、とか、時々書いていますが、
私はマスコミを敵視など全くしていません。できないんです。

マスコミが本来の使命を果たせるように・・・
そう、マスコミ改革が私の夢です。
一人で出来ることではありません。
一大事業ともいえる仕事です。
それに、改革の必要性を感じている人が集まらなければ、話になりません。
必要を感じていても、最終的にどういう方向へ持って行くべきか?の
ベクトルが違ったら、一緒に取り組むのは難しいです。

なんだか、しばしば大げさに表現して恐縮ですが、
あえて、私は、大きく強く、心の中に未来ビジョンを刻み込むのです。
大きく強く描いて、それでも結果はナンボのもん かもしれません。
改革には、人々の精神性の向上も伴う と思うので、
30年ぐらいかかるかもしれません。
だから、誰かに受け継いでいく、ということも見えています。

そのための準備に、いま、とりかかっています。
準備のための準備のための準備、、、というぐらい、
それこそ話にならないレベルで、挑戦を始めています。
まずは、政治経済とジャーナリズムの勉強から、ということで、
いま、私は受験生なのです。

受かってから公表するのが、カッコいいのですが^^;
(カッコの問題じゃないか。受かってから何年かまたかかるし、道のり、遠っ!)

そんな時期に、机の上の勉強に加え、
実際の政治活動に携わることになりました。
番組のほうも、いままで以上に様々考える機会が与えられ、身が引き締まります。
どれもこれも、全くごまかしのきかない、結果に表れる活動が、いっぺんに来ました。

このブログには、番組リスナーの方や、ファンの方や、
お世話になっている方々の他にも、
又、特別な番組のパーソナリティということで、
その宗教観をのぞき見する感じでいらっしゃる方もあり、
本当の本音、の部分って、意外と書いてきていません。

でも、私の夢については、恥ずかしいけど書いちゃえ、と思いました。
私、本気なんです。本気すぎて、肩に力が入りすぎです(苦笑)。
生半可な覚悟じゃ成し遂げられないことに、この分際で(どんな分際か^^;)
やろうとしているので、見る人が見たら、冷笑されそうですが、関係なし。

今後も、このブログで、
マスコミ(ジャーナリズムが中心になるかな)にはどんな可能性があり、
どんな力を秘めているか、携わる人間の正義や善悪に関する視点のことなど、
いろいろ書くかと思います。生意気に。。。^^;



それにしても、時間配分が、難しいです^^;
体力が・・・足りないのが、悔しい・・・
これもちょっとずつ鍛えながら、、、
ま、誰に頼まれたわけでもないし

勝手に頑張るだけです(笑)



  • 2009.07.18 Saturday
  • 22:09